【べらぼう】平賀源内は何をした人?発明がすごい!大河ドラマ初

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NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦屋栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』。

俳優の安田顕さんが演じる、江戸時代に実在した人物・平賀源内(ひらが げんない)。

日本史の教科書や参考書にも登場する平賀源内ですが、業績や実像を正確に把握している方は少ないのではないでしょうか?

名前は聞いたことがあっても、実際に何をした人なのか?歴史的にどんな評価を得ているのか?

この記事では、以下のことについて詳しく解説していきます。

•平賀源内は何をした人なのか?3つご紹介
•平賀源内の人物像やその生涯
•平賀源内が大河ドラマ『べらぼう』に初登場

平賀源内は何をした人なのか?

平賀源内は何をした人なのでしょうか?

ひと言で表現するなら、平賀源内は天才、奇才、異才、異能の人。

学者であり、医者であり、事業家にして戯作者、俳人、そして発明家。

現代に当てはめてみると、文系理系を縦横無尽に行き来して、アカデミックな世界でもビジネスの最前線でも活躍するスーパースターといったところでしょうか。

そんな平賀源内の功績を3つご紹介していきます。

平賀源内は発明家!

多種多彩な平賀源内の業績の中でも、最も有名なのは「発明家」としての顔。

鎖国を行っていた江戸時代にあって外国の技術や文化に精通していた平賀源内。

オランダ製の静電気発生装置「エレキテル」を自身で復元して日本に紹介したことで知られています。

平賀源内作のエレキテルは、現在国立科学博物館でその複製を見学することができます。

東京の江東区清澄には、「平賀源内電気実験の地」と刻まれた石碑が立っています。

また、燃えない布(石綿)や日本創製寒熱昇降器(温度計)、万歩計、磁針器等多くを製作したといわれています。

約250年前の「万歩計」。どんな感じか気になりますね!

平賀源内とうなぎの関係は?

土用の丑の日にうなぎを食べる風習に平賀源内が関係している、といわれています。

うなぎの蒲焼をこよなく愛していた平賀源内。

特に江戸前のうなぎへのこだわりが強かったようです。

諸説ありますが、夏のうなぎは旬の時期を外れて味がこってりなため売れませんでした。

飲食店から商売繫盛の相談を受けて、夏にもうなぎが売れるよう宣伝文を作った、といわれています。

「夏バテ対策にはうなぎで精をつけよう!」「土用の丑の日 うなぎを食べよう!」などの内容の宣伝文を作り、うなぎ屋は大繫盛したそうです。

令和の今も、約250年前の平賀源内が作ったとされる「土用の丑の日にうなぎを食べる風習」が続いています。

土用の丑の日に「うなぎ」を食べる風習に、そんな理由があったんですね!

平賀源内は日本初のコピーライター?

平賀源内は、歯磨き粉「漱石膏」の広告作りをして大ヒットしたと言われています。

役者の芝居口上で、「お願いだから買ってください」調の本音をさらけ出した口上文が、江戸っ子のハートをくすぐったようです。

今でいう、歯磨き粉を売るための“CMソング”を作詞作曲した感じでしょうか。

この他、テンポの良い掛け言葉の「清水餅」の広告などいくつか書いているようです。

平賀源内は18世紀の人物でありながら、日本初のコピーライターとも言われています。

出身地さぬき市志度では、キャッチコピーを募集したイベント「平賀源内甲子園」がおこなわれています!

平賀源内の生涯は?

平賀源内は、江戸時代中期である1728年(享保13年)に現在の香川県さぬき市で、足軽の家に生まれました。

幼い頃から手先が器用で掛け軸に細工を施すなど、後に発明家として世に出る片鱗が見られています。

25歳の頃、長崎で暮らしオランダ語、医学、油絵などを学び、30歳過ぎから江戸に落ち着き、今でいう「物産博覧会」を開催するなどビジネスマンとしての才も発揮。

平賀源内の晩年については諸説ありますが、ここでは1つご紹介。

ある大名屋敷の修理を任された際、酔っぱらっていたので修理計画書を盗まれたと勘違いして、大工を2人を殺傷してしまった、という説です。

投獄された源内は、その後破傷風により獄中で亡くなったそうです。

辞世の句は「乾坤の 手をちぢめたる 氷かな」。52年の奇妙な生涯でした。

平賀源内の記念館

平賀源内が何をした人なのか、その天才的な業績の数々を深く知るには、故郷にある「平賀源内記念館」を訪れることをおすすめします。

JR志度駅から徒歩2分に建つ「平賀源内記念館」には、源内が残した数多くの発明品や著作が展示されています。

【平賀源内記念館】

住所  ………香川県さぬき市志度587-1
TEL  ………087-894-1684
入館料………一般500円、大学・高校生400円、小・中学生250円
営業時間………9:00~17:00

また、記念館から500メートルほど離れた場所に、平賀源内の旧邸が残されています。

邸内にはエレキテルを足元に置いた平賀源内の銅像があります。

そこには、杉田玄白の「あヽ非常の人。非常の事を好み。行いこれ非常。何ぞ非常の死なる」という言葉が刻まれています。

詳しい施設の紹介は下記公式ホームページに記載がありますので、ぜひご確認ください。

平賀源内記念館 Hiraga Gennai Memorial Museum

平賀源内が大河ドラマ『べらぼう』に初登場

平賀源内がNHK大河ドラマに登場するのは、『べらぼう』が初めて。

これほどの知名度がありながら、少し意外な感じもしますね。

そもそも64作目となる大河ドラマで江戸時代中期が取り上げられること自体が稀なので、平賀源内初登場!は当然なのですね。

他にTVドラマでは、『桃太郎侍』『必殺シリーズ』で発明家キャラで登場する平賀源内。

そのほか、

平賀源内を演じた俳優

•故・西田敏行さん………翔んでる!平賀源内
•故・火野正平さん………殿さま風来坊 隠れ旅
•小林稔侍さん  ………大江戸捜査網2015~隠密同心、悪を斬る!
•山本耕史さん  ………風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうしょん)篇~
•六角精児さん  ………大江戸スチームパンク

など、いずれも個性派の俳優が平賀源内を演じています。

さらに、少し変わったところでは、漫画『銀魂』で、自称「江戸一番の発明家」のカラクリ技師・平賀源“外”が登場します。

まとめ

『べらぼう』で話題の平賀源内は何をした人なのでしょうか?

平賀源内は、日本史の教科書や参考書にも登場する人物です。

平賀源内を表す言葉も発明家、蘭学者、医者、俳人、蘭画家などがあります。

平賀源内が残した仕事には、令和の現在でも私たちの暮らしに影響を及ぼしていることがあるほどです。

「破天荒な天才」「非常の人」と表現される平賀源内を知るには、「平賀源内記念館」を訪れることをおすすめします。

平賀源内が大河ドラマに登場するのは初めて。

『べらぼう』のこれからの展開に目が離せませんね。

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