【べらぼう】鳥山検校とは?五代目瀬川を身請け?市原隼人に注目!

ドラマ

『べらぼう』で、人気俳優の市原隼人さんが演じるのが、江戸時代に実在した悪徳高利貸し・鳥山検校(とりやまけんぎょう)。

「検校」とは盲人の役職名であり、江戸時代には社会的地位もかなり高かったようです。

そんな鳥山検校は瀬川を身請けします。

鳥山検校を演じる市原隼人さんは、「今までの大河ドラマにない人物像であると感じています」と語っています。

この記事では、以下のことについて詳しくご紹介していきます。

•【べらぼう】鳥山検校の「検校」は名前?役職?
•【べらぼう】鳥山検校と五代目瀬川の関係
•【べらぼう】に登場する鳥山検校の生涯は?
•【べらぼう】鳥山検校を演じる市原隼人さん

【べらぼう】鳥山検校の「検校」は名前?役職?

「検校」は名前ではなく、平安時代など神社や荘園を監督する立場の役職名だったようです。

その後、室町時代には盲人の方がつく役職の最高位として使用されるようになりました。

江戸時代、多くの盲人男性は同業者組合に属しており、そのトップに君臨する人物が「検校」と名乗っていました。

筝曲(おこと)や按摩などに優れた者もいました。

江戸時代前期に音楽家として活躍した八橋検校(はつはしけんぎょう)は筝曲の名手として知られています。

現在でも京都土産として有名な八ツ橋は、この八橋検校に由来するという説があります。

【べらぼう】鳥山検校と五代目瀬川の関係

鳥山検校と五代目瀬川は「身請け」の関係です。

Q
「身請け」とは?
A

遊女の身の代金などを代わりに支払い、その勤めから身を引かせることを言います。
自分の妻にすることもあるようです。

資金力豊富な鳥山検校は、金に糸目をつけない豪遊ぶりでも有名だったようです。

吉原にも頻繁に訪れ、ついには吉原一の花魁・五代目瀬川を1,400両(現在のお金で約1億4000万円)という大金で身請けしました。

五代目瀬川を身請けして江戸っ子の耳目を集めたこの時点が、鳥山検校の生涯においてまさに頂点でした。

【べらぼう】鳥山検校の生涯は?

『べらぼう』に登場する鳥山検校の生涯は、大金持ちとしての栄華と、幕府から追放される没落というドラマチックなストーリーに彩られています。

鳥山検校について残されている史料は少なく、生没年、出身地など明確な記録は残っていません。

高利貸しとしての鳥山検校の生涯

幕府が、盲人保護の一環として「座頭」と呼ばれた盲目の人たちに、高利での貸付を許していました。

これにより彼らの多くは、按摩や鍼術で得たお金を元手に高利貸しを営んでいました。

幕府が盲人に与えた手当を元手に高利貸しを営み、商才と金儲けへの執念で莫大な蓄財に成功したようです。

高利貸しとして大変悪名高かった鳥山検校は、かなり豪奢な暮らしをしていたようです。

また、借金の取り立てにはかなり激しいスタンスでのぞんでいたとも。

江戸市中に存在した同業者の中でも、圧倒的な存在感を誇っていました。

盲目の侠客「座頭市」という時代劇がありましたね。

五代目瀬川 身請け後の鳥山検校の生涯

五代目瀬川を身請けから3年後。

あまりに厳しい取り立てと銭ゲバぶりに江戸幕府から処罰された鳥山検校。

全財産を没収され、江戸から追放されることとなりました。

追放の憂き目にあった悪徳高利貸し・鳥山検校のその後については定かではないようです。

また、五代目瀬川のその後に関しては「武士の妻になった」「大工の家に嫁いだ」など諸説ありますが、

こちらも史実としては明確な史料は残されていません。

また、鳥山検校と五代目瀬川に関する事実を基に、いくつかの黄表紙(挿絵入りの読み物)で脚色されたストーリーが残されています。

【べらぼう】鳥山検校を演じる市原隼人

個性派俳優の市原隼人さんが演じる鳥山検校。

盲人の最高位にありながら、冷酷な高利貸しとして嫌われることも多かったといいます。

鳥山検校について「未だ謎に包まれている」「今までの大河ドラマにない人物像」と語っています。

市原隼人さんは、盲人・鳥山検校を演じるため、白濁のコンタクトレンズを使用したそうです。

【べらぼう】に登場する前から鳥山検校はSNSで話題になっていました。

大河ドラマは、2017年(平成29年)の『おんな城主 直虎』、2022年(令和4年)の『鎌倉殿の13人』に続き、3度目の登場となります。

まとめ

【べらぼう】で、人気俳優の市原隼人さんが演じる実在した悪徳高利貸し・鳥山検校。

幕府が盲人に与えた手当を元手に高利貸しを営み、盲人の方がつく役職の最高位につき莫大な蓄財に成功しました。

現代風に表現すると「闇金融の首領(ドン)」のようなポジションだったのではないでしょうか。

吉原一の花魁・五代目瀬川を1,400両(現在のお金で約1億4000万円)という大金で「身請け」し、江戸中の注目を集めました。

しかし、厳しい取り立てに全財産を没収され、江戸から追放されることとなります。

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