【べらぼう】徳川家基はなぜ爪を噛む?初代将軍の遺伝?手袋に細工か

ドラマ

大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に登場する徳川家基(とくがわいえもと)。

江戸幕府の第10代将軍・徳川家治の長男であり、まごうことなきお世継ぎとして第11代将軍となるのが既定路線でした。

そんな徳川家基には、ピンチやイライラすると親指の爪を噛むというクセがありました。

家基自身は幼い頃から聡明で身体も丈夫、大奥での評判も上々で、父である家治は大いに期待していましたが、家基16歳の時、鷹狩りの帰りに急に体調を崩し、その3日後に息を引き取ったのです。

父・家治はただちに真相を調査すると、手袋噛んだあとに苦しみだしたという話を耳にするのです。

この記事では、以下のことについて詳しく解説していきます。

•【べらぼう】徳川家基は爪を噛むクセがあった?初代将軍の遺伝?
•【べらぼう】徳川家基の早逝は手袋に細工?
•【べらぼう】徳川家基は幻の11代将軍
•【べらぼう】徳川家基演じる奥智哉

【べらぼう】徳川家基は爪を噛むクセがあった?

徳川家基には、ピンチや苛立ったときなどに爪を噛むクセがありました。

大河ドラマ『べらぼう』の中でも爪を噛む場面が描かれています。

•田安賢丸(寺田心さん)と将棋を指し、劣勢になった時。
•田沼意次(渡辺謙さん)の提案により、検校の財産を幕府のお金にすることが決まった時。

など、思うようにいかなかったり、怒りがわいてきたときなどにみせる仕草だったようですが、『べらぼう』の中では親指の爪をかなり強く噛んでいました。

大声を出して暴れるのではなく、自分の爪を強く噛むシーンでは効果音が強調されているようです。

【べらぼう】徳川家基の爪を噛むクセは初代将軍の遺伝?

徳川家基の爪を噛むクセは、実は遺伝だったといわれています。

あの、初代将軍徳川家康にも爪を嚙むクセがあったとか。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの時、徳川家康は合戦がなかなか有利に進まなかったことにいら立ち爪を嚙んだ、という逸話が残っています。

苦戦した時など爪を嚙む仕草をして、時には血がでるほど強く嚙んだそうです。

『べらぼう』の中では、父・家治(眞島秀和さん)も爪を嚙むシーンが描かれていますね。

【べらぼう】徳川家基の早逝は手袋に細工?

徳川家基には爪を嚙むクセがあり、『べらぼう』では、

このクセを利用して鷹狩りに使用する手袋に細工をしたのではないか、という展開になるようです。

徳川家基は、1ヶ月に2回のペースで鷹狩りを行うほど健康状態が良好でした。

しかし、1779年(安永8年)2月、鷹狩りから帰る途中、急に体調が悪くなり、江戸城に運び込まれましたが、3日後に亡くなってしまいます。

あまりにも突然の出来事だったため、家基の将軍就任により不利益をこうむる田沼意次(渡辺謙さん)、徳川治済(生田斗真さん)のいずれかの企みによるものではないか、と噂が飛び交います。

父・家治が真相を調査すると、「鷹を逃がして悔しそうに手袋噛んだあとに苦しみだした」という話を耳にするのです。

手袋に細工があったのか、真実は不明ですが、江戸時代中期を代表するミステリーの1つと言えます。

【べらぼう】徳川家基は幻の11代将軍

『べらぼう』に登場する徳川家基は、家治の長男で、11代将軍になるはずでしたが、16歳で早逝したため「幻の11代将軍」と言われています。

幼い頃から聡明で、「文武両道」の若者として順調に成長、「若様」として大奥での評判も上々であり、父である家治も後継者として家基に大きな期待をかけていました。

1779年(安永8年)家基が亡くなった後、家治は食事も喉が通らないほど嘆き悲しみ、その後は子供をもうけることなくこの世をさることになります。

そのため、徳川家治の直系は途絶えることとなりました。

また、徳川家康以来、名前に「家」がつく徳川家の男子としては、唯一将軍職に就いていない人物になってしまい、「幻の11代将軍」と呼ばれる理由がここにもあります。

【べらぼう】徳川家基演じる奥智哉

徳川家基演じる奥智哉さんは、『べらぼう』が大河ドラマ初主演となります。

奥智哉さんは2004年生まれの現在20歳。

演じる徳川家基は16歳という若さで亡くなったため、実際の年齢も近いですね。

「その短い生涯の中でどのように生きたのか僕なりに徳川家基を一生懸命演じさせていただきます」と語っています。

聡明で文武両道と言われた徳川家基の、爪を嚙むクセがある繊細さが

奥智哉さんの醸し出す雰囲気にピッタリですね。

まとめ

11代将軍となるはずだった徳川家基には爪を噛むクセがありました。

ピンチや苛立ったときなどに親指の爪を嚙む仕草が『べらぼう』の中でも度々描かれています。

戦国時代と異なり、「Pax Tokugawana(パックス・トクガワーナ)」と言われるほど平和が続いた江戸時代、武士にとって鷹狩りは獲物を敵に見立てて実践感覚を養う貴重な機会でした。

健康で「文武両道」といわれていた徳川家基は1779年2月、いつも通り鷹狩りに出かけましたが、その3日後に亡くなってしまいます。

父・家治が真相を調査すると、「手袋噛んだあとに苦しみだした」という話をききますが、真実は不明な、江戸時代中期を代表するミステリーの1つと言えます。

徳川家基が11代将軍になっていたら、その後の江戸時代はどう変わっていったのでしょうか。

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